慢性肝疾患の治療経過中、急変を来した一例

■症例 : 50歳代の男性
■主訴 : 吐血
■家族歴 : 父, 脳卒中にて死亡。母, 肺癌にて死亡。
■既往歴 :
15 歳時、急性腎炎にて加療
平成 5 年  Buerger 病
        原発性胆汁性肝硬変 (PBC)
        抗リン脂質抗体症候群
平成 16 年 急性膵炎にて加療
■現病歴 :
平成 17 年3月中旬、夕食後に悪心が出現し、同日深夜に吐血したが様子をみていた。翌日には吐血はなかったが、黒色便を認めていた。昼食後に悪心を来たし、再吐血したため近医受診したところ、ショック状態、著明な貧血を認め、本学救急センター三次外来に紹介となった。内視鏡検査にて食道静脈瘤破裂を認めたため、内視鏡的硬化療法 (EIS) にて止血後、精査加療のため第一内科に入院となった。
■入院時現症 :  
身長 162cm, 体重 55kg。血圧 139/68 mmHg, 脈拍数 98bpm, 整。呼吸数 16回/分。 体温 36.7 ℃。眼球結膜に貧血を認めが、黄疸は認めない。顔色は不良。意識清明。腹部は軽度腹満を認める。四肢、体幹の浮腫は認めない。
■経過 :
入院後 EIS を三回施行し、4月初旬に退院となった。
平成17年6月 : 内視鏡検査にて食道静脈瘤の再発を認め、救急科入院しEIS を施行した。
平成17年12月 : 再吐血し、三次外来にてEISで止血後、第一内科に入院となった。
平成18年4月 : 外来で経過をみていたが、食道静脈瘤の再発を認め、同年7月にEIS目的で救急科入院となる。
平成19年2月初旬 : 腹腔鏡下脾臓摘出術目的で外科に入院となる。
同年2月中旬 : 急変を来たし、腎不全、心不全に陥り、死亡となる。

内科入院時検査所見(平成 17 年 3 月中旬)


検査値の推移

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Pathological diagnosis:
1. Infective myocarditis.
2. Primary biliary cirrhosis (PBC).

Pathological findings:
A. Infective myocarditis.
1. Diffuse neutrophile infiltration of the cardiac wall.
2. Dilated change of bilateral cardiac ventricles with thin wall (RV. 4 mm, LV. 10 mm).
3. Cardiomegary (440 g).
B. Sequel to A.
1. Congestive edema of bilateral lungs and pleural adherent to pleura (rt. 710 g, lt. 440 g ).
2. Pleural effusion (rt. 200ml, lt. 300ml, bloody).
C. Primary biliary cirrhosis.
1. Compatible with primary biliary cirrhosis.
Liver cirrhosis (so-called Otsu type) with severe lymphocyte infiltration of Glisson’s
area and chronic nonsuppurative destructive cholangitis like lesion(1,900 g).
2. Slightly systemic jaundice.
3. Accumulation of ascites (1,500ml, yellow, clear).
4. Status post splenectomy for splenomegary and pancytopenia (1,020 g).
D. Other findings.
1. Cysts of both kidneys (rt. 135 g, lt. 120 g).
2. No significant change of the aorta.
3. No significant change of the gastrointestinal tract.
4. Male cadaver (164 cm in height, 56 kg in body weight) with slightly systemic jaundice.

原発性胆汁性肝硬変 (primary biliary cirrhosis, PBC)

【疾患概念】
中等大の小葉間胆管あるいは隔壁胆管の慢性非化膿性破壊性胆管炎 (chronic non-suppurative detructive cholangitis, CNSDC) により慢性肝内胆汁うっ滞を きたし、最終的には肝硬変に至る疾患。 皮膚掻痒感、黄疸、食道静脈瘤、腹水、肝性脳症などの肝障害に基づく自覚 症状を有する症候性 (symptomatic) PBC (s-PBC) と、これらの症状を欠く無症候性 (asymptomatic) PBC (a-PBC) に分類される。 【疫学】 本邦における PBC の推定年間発生数は約 500 人で、推定患者数は約 50,000 人。 中年以降の女性に 好発する(男性の割合は全症例の 10% 前後)。診断時年齢は 50 歳代が最も多い。 【病因】自己免疫性機序が考えられている。 抗ミトコンドリア抗体 (AMA), 抗 pyruvate dehydrogenase (PDH) 抗体が高頻度に 陽性で、高力価を示す。 他の自己免疫疾患(シェーグレン症候群、慢性関節リウマチ、慢性甲状腺炎) を合併することがある。

【症状】
(1) 初発症状 a-PBC では PBC の診断基準に合致するにもかかわらず 自覚症状を欠き、無症状のまま数年以上経過すること がある。 s-PBC における初発症状は皮膚掻痒感が最も多く、 ついで黄疸である。これらの症状が認められず、 腹水、食道胃静脈瘤、 肝性脳症などの門脈圧亢進症状が先行する場合がある。 (2) 合併症による症状 高脂血症が持続する場合の皮膚黄色腫、脂溶性ビタミン欠乏による骨粗鬆症、合併する自己免疫疾患に基づく 諸症状などがみられる。 (3) 末期における症状 肝不全による症状は、他の原因による肝硬変と差異はみられないが、 これらの症状が前肝硬変期に出現するこ とがあるため注意を要する。 (4) 肝癌の合併 合併率は 0.7% (男性 1.6%, 女性 0/6%), 肝癌の診断時年齢は男性で約 70 歳、 女性で 64 歳と、PBC 自体の 診断時年齢より約 10 歳以上高齢である。

【治療】
ウルソデオキシコール酸 (UDCA) が第一選択(進行した s-PBC を除く) 肝硬変非代償期・肝不全に 至った場合は一般的肝硬変に対する治療に 準ずる。 肝移植の可能性:予後不良の転帰が予測される症例。

【予後】
主な死因は肝不全 (30%). 消化管出血は減少 ( 近年では数 %). 5 年生存率:a-PBC, 97.5%; s-PBC, 77.6%.

肝硬変の機能的重症度分類

代償期 (compensate)
肝細胞がある程度残存し、肝臓の合成能、解毒能が比較的保たれている状態

非代償期 (decompensated)
肝機能不全と門脈圧亢進によって、様々な症状・合併症が出現した状態。黄疸、腹水、肝性脳症、食道静脈瘤 etc...

本症例の場合は食道静脈瘤がみられ、非代償期に相当?

肝硬変症における合併症

(1) 消化管出血
食道静脈瘤からの出血のほかに、胃・十二指腸潰瘍、胃びらんからの出血の頻度も高い。

(2) 肝性脳症
門脈 - 下大静脈短絡形成により、消化管内で発生したアンモニアなどが肝臓で解毒されず、大循環に入るために生じる。

(3) 門脈圧亢進
肝内門脈が肝硬変の再生結節により圧排、圧縮を受け門脈血管抵抗が増大、肝硬変においてはしばしば全身循環血流量が増加するいわゆる hyperdynamic state の状態が起こり、門脈血流量が増大。脾腫・脾機能亢進、側副血行路形成、腹水、肝性脳症

(4) 特発性細菌性腹膜炎
網内系機能の低下とおよび肝内門脈 - 体循環シャントの形成により、腸内系由来最近の血行性感染が生じやすい。

(5) 出血傾向
凝固因子の産生低下、脾機能亢進による血小板減少などにより、出血傾向を呈することがある。

(6) 肝腎症候群
腎内の血流の変化により、腎皮質の血流が低下。進行した肝不全患者において、過剰の利尿薬投与、腹水除去、下痢などにより血管内脱水が生じた場合出現し、腎血管の著明な収縮、糸球体濾過の低下を来す。

(7) 肝細胞

抗リン脂質抗体症候群 (Antiphospholipid syndrome, APS)

血中に抗カルジオリピン抗体、ループス抗凝固因子等の自己抗体が証明され、臨床的に動・静脈の血栓症、血小板減少、習慣流産・死産・子宮内胎児死亡などをきたす疾患。
全身性エリテマトーデス (SLE) 等の自己免疫疾患に続発することた多いが、原発性 APS も存在する。
多臓器梗塞を同時にみる予後不良な病態は catastrophic APS と称される。原因は不明
患者数は本邦で約 3,700 人(全国疫学調査, 1998)
pPL は APLL の延長をもたらすが、臨床的には凝固亢進し、血栓症を来す。
その機序はいくつかの仮説があるが確定されていない。
治療は抗凝固療法が主体(抗血小板剤、抗凝固剤、線維素溶解剤等)
自己免疫疾患がある場合、catastrophic APS の場合はステロイド剤と免疫抑制剤を併用する。
予後は、侵される臓器と臨床病態により異なるが、catastropihc PAS は予後不良である。

抗リン脂質抗体症候群にみられる症状

1. 血栓症
<静脈系>
血栓性静脈炎、網状皮斑、下腿潰瘍、網膜静脈血栓症、肺梗塞・塞栓症、血栓性は医高血圧症、Budd-Chiari 症候群、肝腫大など
<動脈系>
皮膚潰瘍、四肢壊疽、網膜動脈血栓症、一過性脳虚血発作、脳梗塞、狭心症、心筋梗塞、疣贅性心内膜炎、弁膜機能不全、腎梗塞、腎微小血栓、肝梗塞、腸梗塞、無菌性骨壊死など

2. 習慣流産、自然流産、子宮内胎児死亡

3. 血小板減少症

4. その他
自己免疫性溶血性貧血、Evans 症候群、頭痛、舞踏病、血管炎様皮疹、アジソン病、虚血性視神経症など

  抗リン脂質抗体症候群分類基準(国際抗リン脂質抗体 シンポジウム,2004年)

臨床所見:
1. 血栓症
  画像診断、あるいは組織学的に証明された明らかな血管壁の炎症を伴わない動静脈あるいは小血管の血栓症(過去の血栓症も、診断方法が適切で明らかな他の原因がない場合は臨床所見に含めてよい。表層性の静脈血栓は含まない。)

2. 妊娠合併症
  a. 妊娠 10 週以降で、他に原因のない性状形態胎児の死亡
  b. (i) 子癇、重症子癇または (ii) 胎盤機能不全による妊娠 34 週以前の正常形態胎児の早産
  c. 3 回以上続けての、妊娠 10 週以前の流産(母体の解剖学的異常、内分泌学的異常、父母の染色体異常を除く)

検査基準:
1. International Society of Thrombosis and Hemostasis のガイドラインに基づいた以下の測定法で、ループスアンチコアグラント (LA) が 12 週間以上の間隔をおいて 2 回以上検出される。

2. 標準化された ELISA 法において、中等度以上の力価の (>40 GPL または MPL, または>99 パーセンタイル) IgG 型または IgM 型の抗カルジオリピン抗体 (aCL) が 12 週間以上の間隔をおいて 2 回以上検出される。

3. 標準化された ELISA 法において、中等度以上の力価の (>99 パーセンタイル) IgG 型または IgM 型の抗β2-glycoprotein I 抗体が、12 週間以上の間隔をおいて 2 回以上検出される。

脾臓摘出術の適応
(1) 食道静脈瘤の内視鏡的硬化療法による治療効果が不十分である場合。
→本症例では平成17年3月初発の食道静脈瘤破裂から これまでに内視鏡的硬化療法で加療していたが、その後 3度出血・破裂 で入院となっているため適応と考えられる。

(2) 脾腫による脾機能亢進で血小板減少(3〜4万以下)による出血傾向が見 られる場合。
→本症例では腹腔鏡下脾摘出術を検討した時の 血小板 2.4 万/ μl と初診 時に比べ 徐々に減少 していため適応と考えられる。

本症例における病態

CPCの手引きに基づいた本症例のまとめ

1) 本症例においては門脈圧亢進による食道静脈瘤及び血小板減少がみら れ、肝硬変における機能的重症度分類においては、非代償期に相当する可能 性 が示唆されたが、Child-Pugh 分類では B に相当し、症状と重症度との間に 乖離が認められた。これはPBCでは早期から門脈圧亢進症状が先行するこ とに起因する現象と考えられ、これらの門脈圧亢進症状が必ずしも 本症例の 重症度を反映していない点に注意が必要である。

2) 原疾患での合併症としては、消化管出血、肝性脳症、門脈圧亢進、特発性 細菌性腹膜炎、出血傾向、肝腎症候群、及び肝細胞癌等が考えられる。これらの合併症は PBC 特異的ではなく、一般的な肝硬変の 合併症と同様である。PBC の場合、症状出現様式が特徴的である場合が あることを念頭におく必要がある。

3) 本症例における脾臓摘出術の適応の根拠は、頻回の食道静脈瘤の破裂、 及び血小板数の著明な低下が考えられた。

4) 本症例では脾臓摘出術後の感染性心筋炎により心機能の著しい低下を来 たし、死に至ったと考えた。臨床的には APS に起因する血栓形成による虚血 性 心疾患も鑑別として考慮されたが、血管造影等で血栓形成は確認されず、 APSの死因への関与は否定的であった。解剖所見でも明らかな血栓形成や 心筋の虚血性変化は認めなかった